第1部 1000年の歴史、革づくりのまち・姫路
兵庫県から遠方の方にはなじみが薄いかもしれませんが、兵庫の西部一帯は古くから播磨と呼ばれてきました。わたしたち協伸株式会社のある姫路市もやはり、播磨の一部。そして、この播磨地方の革づくりは、とても長い歴史があります。
はるか古代、播磨で皮がなめされていた、そんな伝説がいろいろ伝わっています。神功皇后の時代、播磨に来た渡来人がなめしの技術を伝えたという説……。聖翁という博識の老人の教えによって、皮なめしが始まったという説……。ただいずれにしても、1800年以上も昔の話。残念ながら確かな記録は残っていません。
— 平安時代までさかのぼる播磨の皮革生産 —
はじめて書物に登場したのは平安時代のことでした。当時の法律書「延喜式」に、播磨の地名が「皮革の産地」として記されました。延喜式は西暦927年に完成した書物ですから、播磨の革づくりの歴史は、1000年を超えるわけです。
以降、時代を経るにつれ、革づくりは盛んになっていきます。豊臣秀吉の時代になると甲冑や鎧など武具、馬具としても姫路の革が使われました。江戸時代には、姫路藩の財政を支える産業となりました。姫路特有の「白なめし革・姫路靼」や、姫路靼でつくった「革細工物」が、特産品となりました。
明治維新後も、時代の変化に対応しながら革づくりは行われ、世界からも高い評価を受けました。ヨーロッパやアメリカで開かれた万国博覧会に明治初期から何度も出品、1900(明治33)年のパリ万博では銅賞を受賞しています。
播磨の地で遠き昔から、磨かれてきた皮革の技と職人魂。それをいまに受け継ぎ、現在、兵庫県の成牛革生産量は全国で約6割(平成24年工業統計表より)のシェアを占めています。
兵庫県と播磨と姫路市。1000年以上も昔から革づくりが行われきました
姫路城から自転車で15分の距離に、協伸はあります