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皮革の歴史と協伸 History of leather and KYOHSHIN

 革づくりのまちとして姫路の名前が知られたのは、姫路靼ひめじたんの存在があったからといえます。姫路靼は白なめし革とも呼ばれ、江戸時代には姫路藩の特産品となり、明治時代には海外からも高い評価を受けました。当社がホームタウンとする姫路市高木地区はかつて、姫路靼の一大生産地でした。

第2部 世界が称賛した姫路靼ひめじたん

 ご存じのとおり、革を柔らかくすると書いて「鞣すなめす」という漢字になります。なめすとは、動物の「皮」を腐らないように加工すること。そして、柔らかくし、耐久性を加えて、製品である「革」にしていく技術です。なめし法は、時代によって変わっていきました。

 協伸のある高木地区は、姫路のなかでも皮革の生産地として有名なエリアです。ここではかつて「白なめし」と呼ばれる独自の製法で革づくりが行われていました。第1部で紹介したとおり、江戸時代には姫路藩の財政を支え、パリ万博で銅賞をもたらせた製法です。白なめし革・姫路靼細工の美しさは、いまみても目を見張ります。

ー 姫路だから生産できた姫路靼 ー

 白なめしによる革づくりは、原皮(牛の生皮)を川の水につけて脱毛することから始まります。その後、天日にさらし、塩となたね油でもんで仕上げていきます。完成まで2~4カ月と長い時間がかかる製法です。

 白なめしの特徴は、なたね油と塩しか加えないのに、白くて柔らかい革ができること。これを知った明治期のドイツ人研究者は不思議で仕方ないと驚いています。外国では白なめし革・姫路靼をJapanese White Leatherと呼びました。

 一連の作業を行うには、これに適した川が不可欠です。ちょうどよいことに高木地区には、姫路靼に最適な水質の市川が流れています。河原も広く、水流も穏やか。姫路靼は市川の恵みともいえるでしょう。

 昭和40年代まで高木地区では、姫路靼をつくる製革所は少なくありませんでした。しかし少しずつ減っていき、いまでは、ごく一部の工芸品用向けなどに生産される程度にすぎません。現在は、品質と効率性のうえから、植物タンニンなめし、クロムなめしなどのなめし法が採用され、革づくりは行われています。

 2011年、姫路靼の再現に挑戦しました。その様子を動画と文章で公開しています。くわしくは「姫路靼再現プロジェクトの記録」をご覧ください。

姫路を流れる市川

市川の水が、姫路靼に最適。他の川の水では白くならないといわれます

市川の白い石

興味深いことに、水際の石は白く染まっています。理由はわかりませんが、白なめし革の市川らしい光景です