会社情報

皮革の歴史と協伸 History of leather and KYOHSHIN

 革づくりを家業とする金田家の3代目、金田陽司。皮革生産の技術を学び、革づくりを科学的に理解しようとドイツに留学し、マイスターの資格を取って帰国しました。マイスターになるまでにどんな道のりがあったのか。そして現在、マイスターの技が革づくりにどのように生かされているのか。皮革の歴史と協伸の最終章です。

第4部 ドイツで修行を積んだマイスター

 1961(昭和36)年生まれの3代目・金田陽司も、幼いころから革に慣れ親しみました。家業である皮革製造をアルバイト感覚で手伝い、職人たちと革に触れながら成長しました。

 当時の協伸の革づくりは家内制手工業の段階でした。熟練職人の経験とカンだけに頼る製造法。薬品の分量や時間などは、近くの製革所と情報を交換しながら仕事を進める、そういう古き良き時代でした。

 好奇心旺盛な陽司は、革づくりを手伝ううちに、職人の経験とカンに興味を抱くようになりました。経験とカンを裏付けるものは具体的に何だろう。経験とカンを文書化し、数値化すれば、もっと生産性が上がるのではないか。

  自分の進む道が見えたのは中学1年生のときでした。ドイツのマイスター制度と皮革専門学校の存在を知ったからです。

 マイスターという言葉は近年、日本でも熟練職人や名人の代名詞のように使われますが、もとはドイツ語。ドイツで定められている職人の国家資格、それがマイスターです。ヨーロッパのなかでも職人文化が根付く国として名高いドイツで、敬意をもって認められている職人の資格です。マイスター制度は中世に起源をもち、ドイツの産業発展を支えてきました。職人たちは試験に合格してはじめてマイスターを名乗ることができ、同時にマイスターでなければ開業できない仕事がいくつもあります。皮革関連もそのひとつでした。

 皮革専門学校の存在も魅力的でした。ドイツの学校では、原皮をなめすことから、カバンなど革製品をつくることまで、革づくりを体系的に、科学的に教えてくれます。日本にはそのような学校はありませんでした。

マイスターの証書

オーバーマイスターの資格証明書兼国立皮革専門学校の卒業証書

ー 苦学の末、世界的権威の皮革学校を卒業 ー

 陽司は高校の卒業式当日、旧西ドイツへ向かう飛行機に乗りました。皮革技術を学び、職人の経験とカンを解き明かし、マイスターになることを目指したのです。

 現地に着いて最初は、ドイツ語からでした。住み込みのアルバイトをしながら、語学学校に通学。言葉がある程度話せるようになると、皮革製造の知識を得ようと製革所で住み込みで働きました。仕事は朝4時から始まる厳しいものでしたが、持ち前の好奇心でどん欲に仕事を覚え、ドイツ語にも磨きをかけていきました。

 そして、世界各国のレザー業界で名が通る国立皮革技術専門学校に入学。この学校の卒業がマイスターへの道でした。

 授業は朝7時半から夕方5時。素材としての皮革はもちろん、革製品や皮革用薬品の知識、製造技術、そして経営に関するノウハウまで身に付けていきました。授業が終われば個人研究の時間。設備の整った学校で、勉学に研究に没頭する2年間の学生生活を送りました。

 熱心に打ち込んだおかげで、落第せずにストレートで卒業試験の日をむかえられました。筆記試験が1週間、実技試験が3週間。約1カ月という長丁場で、国立皮革技術専門学校の卒業試験は行われました。課された実技試験は、日本では見られない珍しい内容でした。

 講堂に集められた学生たちの前にずらりと並べられた革。その革が一人ひとりに配られました。受け取った革だけを見て、それと同じ革を3週間以内に製作するという課題でした。ただし革の種類は一人ひとり異なり、ある学生には羊革、ある者には豚革とひとりずつバラバラ。陽司は牛革のシュリンク革でした。そしてつくった革を提出する際は、使った薬品や処方など工程すべての根拠を記したレポートも求められました。

技術者になる儀式

試験の合格者が参加できる儀式。技術者としての洗礼を受けます。学校のある町・ロイトリンゲンの5万人をあげて行われます

技術者になる儀式

洗礼の儀式にて。2月の寒い時期ですが、井戸の水をかけられて、祝福されます。写真右の黒い服が金田陽司

   1984年2月、卒業試験に合格。通常、外国人なら2年6か月間かかる課程ですが、陽司は2年で卒業できました。とても珍しいケースで、2年で卒業した初めての日本人となりました。そして同時にLeder Techniker(レダーテクニカー・皮革技術指導者=オーバーマイスター)の資格を取得することとなったのです。オーバーマイスターとは、マイスターの上位資格。皮革について、より高い知識と技術をもっているため、マイスターの指導、育成にあたることも許されます。

ー マイスターの科学的視点と職人の技が融合する革づくりへ ー

 約6年間のドイツ留学で陽司は、革の理解を高め、革への尊敬を深め、革づくりを科学的にとらえる力を身に付けました。

 日本に帰国後、協伸株式会社に入社。職人の経験とカンに頼る職人気質の革づくりに、マイスターの科学的視点をプラスし、品質の安定化、品質の向上をもたらしました。

 1990年には社長に就任。それまで協伸の主力商品は、靴用の革素材でしたが、カバン用や小物用にまで広げました。また、素材として革をメーカーに提供するだけに終わらず、カバンや財布などの最終製品まで手がけるようになったのです。

 陽司の探求心と創造力は、いろいろな靴素材を発明した父・二郎ゆずりかもしれません。革に写真やイラストなどを染色する技術を開発し、2011年2月には特許も認められました。その技術でつくった革はグラフィックレザーといいます。また草木を染料に使う草木染めでは、耐久性を確保しながら、ナチュラルでやわらかな色合いの革を実現しました。体操オリンピック選手が手に着けるプロテクターも手がけています。

2021年、協伸株式会社は創業110周年をむかえました。
歴史と伝統とマイスター。3つの力を背景に日々、
上質な革製品をつくり続けています。

オーバーマイスター金田陽司

オーバーマイスター、金田陽司。スタッフを指導しながら現場に立っています